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40代・50代こそ「鶏口牛後」で新しいビジネスストーリーを作れ!

学生時代、漢文の授業や歴史の授業などで「鶏口牛後」という熟語を教わったと思います。

中国の歴史書『史記』の中に出てくることわざの一つであり、かんたんに意味を要約すると「大きな集団の中で後ろの方にいるよりも、小さな集団の中でトップとなるほうがよい」という意味です。

40代・50代という、社会人としてのターニングポイントになる年代では、ビジネスにおいて努力してきた結果がある程度形になって現れます。

自分が歩んできたストーリーを振り返った時、満足できるかどうかは人それぞれですが、同期・同級生が起業などで成功した話を聞いて自分の不甲斐なさを思い知らされるなど、中には自分のキャリアに不満を覚える人もいるかもしれません。

終身雇用制度が機能していた時代、多くの人が大企業で牛後となることに魅力を感じており、大企業で働かなければ大きなビジネスを任せてもらえないという風潮がありました。

しかし、2000年代を迎えると、大企業でも民事再生法の適用を受ける例が見受けられるようになり、苦戦する企業と入れ替わるようにインターネットを武器にしたベンチャー企業が台頭してきました。

新たに台頭した企業は、いずれも大企業としてスタートしたわけではありません。

さながら鶏口として、かつての就活では決して強い関心を集めるような企業ではなかったのに、現代では難関企業として認知されているところも数多く存在します。

2021年を迎えた現代の日本では、鶏口牛後の傾向がより強まるものと予想されます。

そして、一定のキャリアを積んだ40代以上の年代は、その経験を活かせばチャンスを引き寄せられる可能性があります。

この記事では、どんな分野・組織でも鶏口になることの重要性と、会社という組織にいると牛後になりやすいリスクについて解説します。

また、40代以上が知っておきたい、鶏口牛後の発想から生まれる新たなビジネスストーリーについてもお伝えします。

他人事のように思えるエピソードもあるかもしれませんが、考え方・物事のとらえ方を少し変えるだけで、成功がすぐそばにあることに気付いていただければ幸いです。

鶏口牛後のエピソードをおさらい

鶏口牛後という言葉の意味を理解するにあたり、まずは熟語が登場したエピソードをかんたんにご紹介します。

史記の時代の中国・戦国の世において、遊説家の蘇秦(そしん)という人が、当時の強大な国家「秦(しん)」に領地を要求された6つの国に同盟を結ぶことを提案しました。

各国の王に対して、巨大な国に屈して臣下となるよりも、一国の王として他の国々と協力しつつ戦う道を説いたのです。

この方法を用いたことで、結果的に秦は十数年にわたり侵攻を断念せざるを得ず、蘇秦も一時はさながら英雄のような立場となります。

残念ながら最期は暗殺という形で命を失うこととなりますが、現代の日本でも故事として知られるほどには、名声を得たと言えるでしょう。

王という立場にいる人が、自らの立場を放棄することを検討しなければならないほど強大な国がある状況というのは、現代の情勢においても恐ろしいことです。

一方で、企業に当てはめて考えてみると、自分が働いている会社が合併・買収の憂き目に遭うことは十分考えられる話です。

自分のキャリアの危機を察知しながらも、自ら手を打てない状況だと、非常にもどかしい思いをするはずです。

そして、40代以上の世代は、会社との関係がそれなりに深いケースが多く、将来を思い悩むことも珍しくありません。

会社が鶏口となることを決断するか、それとも牛後になることを選ぶか。

自分が会社を離れて鶏口となるか、あるいは会社に残り牛後となるか。

万人にとって同じ条件ではないものの、40代・50代の多くはその後のキャリア選択にあたり、様々な条件を考慮して決断しなければならないのです。

なぜ日本社会で「鶏口牛後」の傾向が強まるのか

ビジネスはもちろん、ビジネス以外の側面から近年の日本の状況を鑑みても、多くの日本人が将来を不安視することはかんたんに予想できますし、事実そのような傾向は否めません。

過労死やブラック企業などの労働問題、老々介護や少子高齢化などの人口問題、日本特有の天変地異など、様々な課題・リスク要因が山積みとなっており、しかも根本的な解決に至る様子はありません。

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終身雇用制度の維持が大企業でも難しくなっていることは疑いなく、社員の副業を認める企業も出てきました。

マイナビが行った「働き方、副業・兼業に関するレポート(2020年) 」では、副業を認めている企業の副業に対する印象についてまとめられていますが、その中でトップの印象を表す言葉は『社員の収入を補てんできる』というものでした。

このことから、会社が社員の副業を認めている背景には、自社だけでは社員の希望通りの収入を実現できないという現実が見て取れます。

つまり、身を粉にして会社のために働いても、もはや会社の側で社員の面倒を十分に見ることができない時代が到来しつつあると言えます。

また、クラウドソーシングサービス・ネットショップなどの台頭によって、個人がビジネスを始める敷居が低くなりました。

国内のフリーランス人口自体が大きく増加したとは言い切れません が、副業含め自らの才覚で仕事を始める人が新たな市場を築いています。

そのような中、あえて会社の中で牛後としてのポジションに甘んじることをよしとする人は、次第に少なくなっていくことでしょう。

同時に、各人がどうすれば鶏口になれるのかを考え、行動を起こす機会も増えるものと推察されます。

どんな人が鶏口で、どんな人が牛後と言えるのか

鶏口を「自分がトップになれる環境にいる人」と定義するなら、極端な話、牛後は「その他大勢」の一人という位置づけもできます。

事実、多くの企業においてトップは社長なり会長であって、あとは部署・部門単位のトップという形に細分化されていきます。

ただ、たとえ少数の部門で管理職として働いていたとしても、その部門では相応の地位についているなら、自分が納得できる地位にいる限り鶏口として自分を認めることができるでしょう。

逆に、自分のポジションに満足できずくすぶっているなら、どんなに上の役職であっても立場は牛後であると解釈するのが妥当です。

誰しも、それなりの期間を会社員として過ごした人は、少なからず自分が勤めた会社から恩恵を受けてきています。

会社にいたからこそチャレンジできたこともあるでしょうし、それなりの給与をもらってプライベートを充実させられた側面もあるはずです。

しかし、会社員は基本的に「会社からあてがわれた仕事」をこなす宿命にあり、自らの意思が100%尊重されるケースは稀です。

時間的制約・就業規則などの兼ね合いから、行動も少なからず制限されます。

会社にいたからこそできたこともあれば、会社に在籍していてできなかったこともあるのが会社員です。

そして、自分の裁量や責任の総量が多ければ多いほど、経験値も増えていきます。

大企業の中で自分を十分に表現でき、結果的に組織のトップとして満足のいく立場になれたのならよいのですが、大多数の社員はポスト争いから漏れます。

そうなると、当然ながらその会社で未来を見据えることが難しくなり、牛後であることを自覚せざるを得ないでしょう。

ただ、そういった自己評価は相対的なものであり、いったん会社や組織を離れれば自分の主観も含めて評価を下すことになります。

その点において、鶏口牛後という言葉が持つ意味は幅広く深いものですから、自分の中で鶏口と牛後をどう定義するかによって、意味合いも変わってきます。

現在の立場に満足しにくい「会社」という組織

会社という組織は、20~30代くらいまでは社員に刺激を与えてくれます。

仕事で何らかの成果が出ると、やはり誰でも面白味を感じるものですし、社会人として有意義な人間関係を構築することに喜びを感じるケースもあるでしょう。

しかし、40代以降になると、目に見える形でのステップアップが次第に途絶えていきます。

会社で用意できるポストには限界があり、年功序列により課長職を複数人に任せるようなことはできないからです。

そうなると、自分の頑張りとは裏腹に上層部の評価が追い付かず、納得のいかない思いをするかもしれません。

一方で、会社側の給与体系は「在籍した年数」が大きなファクターとなっているため、かんたんな気持ちで会社を離れることも難しいのが現実です。

これが外資系企業となると、そもそも定年制そのものがないケースも珍しくありませんし、実力に応じて収入が得られる分だけ満足度も高くなるでしょう。

逆に、実力不足と判断されて努力が給与に反映されなければ、こちらもまた不利益をこうむることになります。

どのような道を選んだとしても、会社員として周囲の評価に左右される生活を続けている以上、いつかは牛後たる自分の存在を自覚するタイミングがやってきます。

そこから、社内で鶏口となるべく役職を得るため努力するのは、無理ではないかもしれませんが不毛な努力に終わる可能性があります。

逆に、会社を離れて一人で手に職を持つと、技能次第で働く場所を選べるようになります。

会社員時代よりも収入は減少するおそれがあり、しかも毎月一定の収入を得られるとは限りませんが、誰かが自分を頼りにしてくれる充実感と、自分への自信の蓄積が同時に得られます。

会社を全面的に信頼できない環境において、「鶏口となるも牛後となるなかれ」と自ら発奮して行動を起こすことは、十分に魅力的な選択肢と言えるでしょう。

鶏口たる人物のキャリアとは

会社に役職というものが存在しており、その穴を埋めるために社員があてがわれるのなら、やはりそこには「選ばれるべき理由」というものが存在します。

また、自分の思惑にかかわらず、結果として自ら新たな職務に携わった人もいるでしょう。

こうした人たちは、多数の社員の中で「唯一無二」のリソースを持っていたり、特殊なキャリアを積んでいたりするケースが多いものです。

鶏口牛後の新しいビジネスストーリーをご紹介する前に、まずは会社の中で自分の居場所を作ることに成功した人の事例をいくつかご紹介します。

横井軍平さん(任天堂株式会社)

任天堂と言えば「ファミコン」や「ゲームボーイ」でおなじみのゲームメーカーとして知られていますが、横井さんは開発第一部部長としてたくさんのアイデアを出した伝説的存在として知られています。

残念ながら現在は他界されていますが、たくさんのクリエイティブな人材が集まるゲーム業界の中で多くのゲームクリエイターに尊敬されており、現在の任天堂のゲーム開発方針にも大きな影響を与える存在として知られています。

横井さんを語る上で有名なエピソードの一つに、入社後間もない時期の大ヒット商品「ウルトラハンド」の製作にまつわるものがあります。

当時、同志社大学工学部を卒業したばかりの横井さんは、任天堂に入社後、設備機器の保守点検の仕事を任されていました。

しかし、仕事の暇つぶしに格子状の伸び縮みする玩具を作って遊んでいたところ、運悪くその場面を当時の任天堂社長・山内溥氏に見られてしまいます。

その後横井さんは社長室に呼び出され、怒られることを覚悟していたところ、山内社長から「それを商品化しろ」という指示を受けます。

指示通り、ものをつかめるように改良して商品化したところ、大ヒットを記録しました。

他にも、任天堂の借金を一気に返したとされる「ゲーム&ウォッチ」・爆撃を受けても起動できる耐久性で話題になった「ゲームボーイ」 など、横井さんはたくさんのスーパーヒット商品の開発に携わっています。

コミュニケーション性をものづくりに取り入れる考え方は「ヨコイズム」と呼ばれ、時に思いもよらぬ形でヒットを飛ばす一因となりました。

また、横井さんは「枯れた技術の水平思考」という独自の哲学をものづくりに応用しています。

これは「広く用いられている既存の技術を今までと異なる使い方をして商品化する」という考え方で、多くの任天堂のゲーム機にその哲学が盛り込まれています。

ゲームボーイが発表された当時、開発陣は「モノクロ画面」であることに難色を示していましたが、マンガン乾電池で約15時間・アルカリ乾電池で約35時間遊べる スペックが市場に評価され、結果として後に登場した各種カラー携帯機(電池の寿命が短い)にことごとく勝利しました。

キラーソフト・ポケットモンスターを世に送り出した株式会社ゲームフリークの田尻智社長は、横井さんの人柄について「心は中小企業 」と評しており、テレビ番組のインタビューの中で「アイデアが浮かぶようなヒントを与えるのがうまい人。アイデア一つで大きな影響を与えられることを教えてくれた。」と語っています。

すべてを真似するのは難しいかもしれませんが、既存の技術を新しい形で応用することは、誰にでもチャンスがあります。

他者と差別化できるキャリアがないと思っている人は、一度自分のキャリアを違う形で応用できないかどうか、検討してみるのも一手です。

松原晋啓さん(アーカス・ジャパン株式会社)

転職系サイトのインタビュー記事 などでご存じの方もいるかもしれませんが、松原さんは非常に特殊なキャリアを積んだ、人生の強者の一人です。

なんと、高卒の立場で裸一貫・ホームレスとなり、そこからはい上がって超大手企業にスカウトされた経歴を持っています。

現在はアーカス・ジャパン株式会社を設立した後、代表取締役社長に就任されています。

松原さんは18歳の時、父親が亡くなったことで莫大な借金の存在が明らかになり、借金のカタに自宅を取り上げられます。

せっかく合格した大学にも入れず退学することになり、そこから人生のスーパーハードモードがスタートします。

日雇い・ギリギリの生活を続ける中で、何とか将来性の高い分野だったIT業界に未経験ながら採用されると、寝る間も惜しんで勉強を重ねます。

担当業務以外に興味を持った分野も徹底的に学び、いつしかエンジニアに必要なスキルだけでなく、ビジネス全般に応用できるスキルが身に付いていったそうです。

松原さんの名は、孫請けとして大型プロジェクトに入った際の実績が評価されたことによって、業界で知られるようになります。

なんと、プロジェクトを前倒しで終わらせた手腕が評価され、超大手外資系企業のアクセンチュアにスカウトされます。

その後も華々しいキャリアを積み重ね、マイクロソフトに転職した際は年収1,000万円を達成。

一つの分野にこだわらない総合力によって弱点を消し、自分の価値を世に知らしめたことで、20代で成功を勝ち取りました。

恵まれない環境どころか、谷底からのスタートとなった松原さんのキャリアですが、逆に考えれば鶏口とならざるを得ない環境が早期に用意されていたとも言えます。

40代を機に、社内外問わず自分をあえて追い込むことで未来を探し当てる道も、検討の余地は十分にあります。

自ら「鶏口」を選んだ人々のビジネスストーリー

先にご紹介した2例は、万人が真似できる要素もありますが、必ずしも自分の現在の環境に応用できるとは限りません。

しかし、過去の実績や経験を活かして、あえて一人という単位から鶏口になろうと試みるならば、現代ではいくつもの好例が見つかります。

新しい試みは、時に世間から厳しい目を向けられることも珍しくありませんが、一方で成功を手にしている人がいることも事実です。

以下に、個人単位からキャリアをスタートさせ、それぞれの形で成功をつかんでいるケースをご紹介します。

中田敦彦さん(オリエンタルラジオ)

「武勇伝」ネタで一世を風靡したお笑いコンビ・オリエンタルラジオの一人で、2021年現在は教育系YouTuberとしても人気を集めています。

中田さんが運営するチャンネル『中田敦彦のYouTube大学』は、チャンネル登録者数が300万人を超える人気を誇り、名実ともに日本でもっとも知名度の高い芸能人の一人と言えるでしょう。

中田さんがYouTubeを始めたきっかけとして知られているのは、当時同じ事務所・吉本興業で働いていたYouTuber・カジサックさん(お笑いコンビ・キングコングの梶原雄太さん)の「中田さんはYouTubeに向いているから、教育系YouTuberになりなよ!」というアドバイスです。

それまでもテレビの世界で成功していたと思われていた中田さんですが、YouTubeを始めるまでの水面下では色々な出来事があり、テレビの自由度の低さに限界を感じていたそうです。

さまざまな同業者(YouTuber)のコンテンツを見て勉強しながら、やがて中田さんは自分のキャリアを複合させることによって、現在のエクストリーム授業の形を思いつきます。

慶応義塾大学経済学部に合格するために積み重ねた豊富な勉強量・お笑いの世界で培ったキャリアを掛け合わせ、YouTubeという媒体でもっとも効果的に自分のコンテンツを発信する方法を編み出したのです。

そのスピーディーな成功事例は様々なメディアで取り上げられ、中田さんはビジネスパーソンとしても高い評価を得ています。

もともとの知名度はあったにしても、チャンネル登録者に支持されるコンテンツを作り続けるマインド・アイデア・着眼点は、多くの人にとって参考にすべきところがたくさんあるはずです。

豆生田信一さん(落語家・参遊亭遊助)

横浜銀行入社後・米ミシガン大学への留学・綜合警備保障への転職など、様々なキャリアを積むかたわら、2014年に落語家・三遊亭遊三師匠の生徒になります。

豆生田さんが通う教会で、聖書を分かりやすく伝える落語を作って欲しいと声をかけられたことをきっかけに、創作落語を作ることを始めたそうです。

披露する創作落語は、企業の歴史・創業物語がテーマの「落語DE社史」というもので、豆生田さんの37年にわたる会社員経験が活かされています。

経営する中で企業が遭遇する諸々の問題も、落語によって物語になり、経営者や社員の心に残るというわけです。

実際に落語を作る際は、経営者から話を聞いて、その企業だけのオーダーメイド落語にまで落とし込みます。

自分自身で内容をきちんと理解するために、事前に専門用語も頭に入れる努力も要します。

ビジネスの話題がテーマになるので、事故の話題など、時にはシビアな話を盛り込まなければならないこともあります。

オチを用意しつつも、会社として大事な部分はたとえ負の側面であっても省略せず、落語の中に盛り込む努力は惜しみません。

もともと、豆生田さんは舞台に立つことが好きだったこともあり、劇団などでの活動経験もあったとのこと。

自分の趣味と経歴を掛け合わせ、新たなキャリアを作るという点は、鶏口になる上で比較的参考にしやすいポイントと言えるかもしれません。

おわりに

以上、鶏口になることの重要性・会社という組織にいると牛後になりやすいリスク・鶏口牛後の発想から生まれる新たなビジネスストーリーなどについてお伝えしてきました。

企業にいても、一人で何かを始めるにしても、アイデアや努力・考え方次第で人は鶏口になり得ることがご理解いただけたことと思います。

そして、40代・50代という世代は「自分のキャリア」というものを蓄積している分、応用できる環境・掛け合わせる要素を知ることができれば、時として若年層よりも有利です。

独立という極端な選択肢にまで行かずとも、効率的な副業・自分が苦にならない活動を検討して、少しずつ活動の幅を広げることはできます。

小さな努力の継続が、やがて大きな実を結ぶことを信じて、新たなビジネスストーリーの主人公になって欲しいと思います。


鶏口牛後という熟語は学校で学ぶのに、なぜか多くの日本人は鶏口になろうとしません。

言い換えれば、それだけ社会全体にチャンスが眠っているということですから、自分だけの武器を磨いてチャンスをつかみましょう!

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この記事を書いた人
オンラインスキルマーケット「Coconala(ココナラ)」にて各種ライティングに携わる。会員登録後半年で確定申告を検討するほど収入が増え、1年後には個人事業主として登録。経理職として幅広い業種への転職経験があり、人事系コラムの執筆も行っている。

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