「幸福とは何か」
この問いについて、様々な人々がそれぞれの立場から回答を試みてきました。
ある人にとってはお金であり、ある人にとっては美しい異性であり、またある人にとっては名声であるかもしれません。
幸福の正体は何なのかを見つけようとして、人生を迷い過ごした経験を持つ人は、数多く存在していることでしょう。
しかし、歴史に名を残す著名人の中には、幸福を自分の目線からとらえず、他者を主体として考えている人も少なくありません。
詩人ゲーテは幸福について「王様であろうと、百姓であろうと、自分の家庭で平和を見出せる者が、いちばん幸福な人間である。」と述べています。
また、文豪の川端康成は「一生の間に一人の人間でも幸福にすることが出来れば自分の幸福なのだ」という言葉を残しています。
上記の言葉から推察するに、彼らは、幸福というものは「利他の心」によって得られると考えていたものと思われます。
不景気に長年悩まされている現代の日本人にとって、他者への施しが幸せにつながるという事実はなかなか受け入れがたい部分があるかもしれませんが、このような考え方は後の世の研究で正しいことが証明されています。
アイオワ州立大学の研究結果によると、大学生を複数のグループに分けた後で大学の周囲を歩いてもらい、一部のグループに「目に入った人の幸せを心底願う」よう指示したところ、そのグループには不安感の減少・幸福感の増加・共感力の向上・連帯意識の高まりといった効果があらわれました。
他のグループには「目に映る人よりも自分が恵まれていると思う」・「目に映る人の衣類や装飾具を見る」などの指示を出していましたが、あまり幸せは感じられなかったそうです。
2020年に行われた世界幸福度ランキングにおいて、日本は62位という結果が出ています。
この事実について、現代の日本人が「利他の心を忘れているから幸福感を感じられていない」と仮定して考えてみると、色々と思い当たる人も多いのではないでしょうか。
この記事では、日本人が忘れ去りそうにしている幸福の正体・利他の心について、なぜ日本人が利他の心に乏しくなってしまったのかを紐解くとともに、幸福度を現在よりも向上させる考え方・メカニズムについてご紹介します。
家族や仕事に恵まれているはずなのに、どうしても自分のことを幸せだと感じられない人は、古き良き日本を思い出しながら、以下の内容を読み進めて欲しいと思います。
第二次世界大戦後、高度経済成長期・バブルを経て「経済大国」と呼ばれた日本ですが、2021年現在は世界のGDPランキングで3位に後退しており、リーマンショック以降から景気回復もいま一つの状況です。
リストラによって職を失った人もいれば、そうなるまいと社内の人間関係に強いストレスを感じながら会社にしがみついている人もいるはずです。
企業・経営者が利益を第一に考えた結果、経営改革を断行せざるを得ず、結果的に社員との関係がいびつになってしまったケースも多いでしょう。
残念ながら、自分の生活を守ることで精いっぱいの人が増え、他者のことを思いやる余裕が社会全体で失われている点は否めません。
また、一昔前までは取りざたされることも少なかった貧困問題や、それに伴う凶悪な事件も、次第に表に出るようになってきました。
地震・洪水などの天災に見舞われた後、いまだに思うような暮らしができず辛い思いをしている人もたくさんいます。
一方で、衣食住に困らず愛すべき家族もいて、生活に何不自由なく過ごしているような人でも、孤独を感じて自殺してしまったり、周囲に不満を漏らしていたりするケースは珍しくありません。
人生100年時代という超高齢化社会を迎えようとしている日本においては、生き残ることを「リスク」としてとらえる人も多いですが、経済的な豊かさの有無に関係なく、総じて生き残ることに希望を感じにくい民族というのは、世界的に見ても稀なのではないでしょうか。
少なくとも、日本の現状を鑑みる限り、自分が世間よりも幸せな暮らしをしていても、それだけで幸せを感じられるとは限らないと言えそうです。
自分の欲しいモノ・ヒトを得ても、人は幸福になれないのなら、それ以外の観点から幸福の正体を探らなければなりません。
この点について、私たちの祖先は素晴らしいことわざを残してくれています。
それは「情けは人のためならず」です。
このことわざは、時々「情けをかけることはその人のためにならない」と、誤った解釈をされることがあります。
しかし、本当の意味は「人にかけた情けは巡り巡って自分に返ってくる」というものです。
「鶴の恩返し」や「笠地蔵」など、昔話でも恩返しをテーマにした話はたくさんありますが、誰かにした親切が自分を幸せにしてくれるというエピソードが、日本においては身近だったものと推察されます。
古き良き日本人は、誰かの幸せを考える「利他の心」が、幸福の正体であることを知っていたのかもしれません。
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自分以外の誰かに施すことは、一見すると損にしか思えない行為です。
小銭入れの中にある500円を赤い羽根募金に寄付するよりも、自分が食べたいお菓子を買った方が、はたから見て満足度は高そうに思えます。
しかし、冒頭でご紹介した通り、人は「誰かのために何かをする」ことで満足感を得られる生き物だということが、研究結果として報告されています。
つまり、誰かのために起こした行動と、行動することを決断した心理が、自分の幸せを決めているとも言えるのです。
京都大学こころの未来研究センターが行った調査「東日本大震災直後の若年層の生活行動及び幸福度に対する影響」によると、2010年12月時点と2011年3月時点の「幸福感・幸福度の変化」を比較した時、2011年3月の方が総じて幸福感を感じている人の割合が多いという結果が出ています。
東日本大震災は、東北地方を中心に甚大なダメージを日本に与えましたが、一方で日本人が持つ温かい心を呼び覚ますきっかけになったことが分かります。
この点について語る上で、非常に有名な好例があります。
それは、お笑い芸人「江頭2:50」さんの、伝説的エピソード です。
江頭さんは、お笑いテレビ番組で数々の笑いを提供してきた人物である一方、それらの笑いは必ずしもすべての人に受け入れられるものとは言えませんでした。
しかし、江頭さんを知る人の多くは、彼の根底にある優しさを理解しており、それを裏付ける行為を東日本大震災の時に行っています。
当時、救援物資が届かず困っている地域があることを知った江頭さんは、仲間とともにトラックを借り、コストコから物資を受け取って、単身物資を届けに行きます。
最終的に、物資を届けた老人ホームの担当者が江頭さんに気付いたことで、結果として世に知られることとなりましたが、江頭さんは自分自身から名乗ることはしなかったそうです。
また、このてん末を番組内で話している時、トラックや救援物資の工面にかかった費用はどうしたのかについて、江頭さんは消費者金融でお金を借りたと話します。
そのことを賞賛された時は、謙虚にも「俺はお金ないからさ。体で払ってきただけなんだよ。」と、他に多額の寄付をしている人を気遣っていました。
後に、YouTubeで自分のチャンネルを開設すると、あっという間に登録者数100万人を突破し、日本でもっとも知名度のあるYouTuberの一人となりました。
東日本大震災のエピソードがすべてではありませんが、江頭さんの人柄や考え方が世の中に広く受け入れられるに至った、一つの理由になっていることは間違いないでしょう。
誰かのことを思いやる気持ちは、ほとんどの人が持ち合わせているはずなのですが、長く生きているうちに忘れてしまいがちです。
迷子になった小学二年生の女の子に大人が声をかけないのを見て、小学五年生の男の子が保護したニュースがありましたが、大人としては恥ずかしさを感じてしまう事件でした。
ただ、これは一方的に周囲の大人たちを悪く言うこともできず、社会の厳しい監視の目が、声をかけることを阻害した一面も考えられます。
大人が子供に声をかけるだけで、誘拐と勘違いされてしまうおそれがある といった意見も、インターネット上で目にすることがあります。
冷静に考えると、悪意がないことをきちんと説明すれば分かってもらえそうな話ですが、残念ながら周囲はそれを許容しないと考えている大人の方が多いのかもしれません。
しかし、自分が幸せになりたいと思うなら、誤解を恐れず自分が相手にしてあげられることを模索する勇気が必要です。
これまでお伝えしてきたエピソードの通り、幸福が利他の心から生まれるのならば、幸福を感じられるメカニズム「他者を思いやる心」を具体化した行動を起こすことが近道です。
例えば、以下のような行動を起こすことで、自分の気持ちを他者に向けやすくなるはずです。
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町内会や学校行事などで、近所のゴミを参加者みんなで集めた経験がある人は多いと思います。
こういったゴミ拾いは、もちろん子供や学生・ボランティア団体の専売特許ではなく、大人でも思いついたらすぐに一人でできることです。
用意するものは、せいぜい手袋と火ばさみ・ゴミ袋くらいのもので、あとは動きやすい服装でゴミを拾っていくだけです。
あとは、ゴミをある程度分別して、各曜日で捨てられるものを捨てれば問題ありません。
自治体によっては、ゴミ拾い用の無料ゴミ袋を用意してくれているところもあります。
一例をあげると、札幌市では、各区役所などに足を運んでゴミ拾いをしたい旨を伝えれば、専用のゴミ袋を配布してくれます。
近所のゴミを拾うことで、周囲に「ゴミ拾いをしている人」だと認知してもらえるようになると、通りすがりの人から声をかけてもらえることがあります。
地域によっては、名前も知らない人から「ありがとう」とお礼を言われることもあるでしょう。
ちなみに筆者は会社員時代、妻以外に話す相手がほとんどいなかった時期があり、休日に観光地に出かけた時など自己満足でゴミ拾いをすることがありました。
何となく「社会に貢献している」気持ちになりたくて始めただけだったのですが、続けているうちに出店の人から声をかけてもらったり、いつの間にか同じ場所でゴミを拾う仲間ができたりしました。
ゴミ拾いは、身体を動かすので気分もよくなりますし、定期的に行えば体力づくりにもつながります。
特定の誰かの顔が思い浮かばない人は、騙されたと思って一度始めて欲しいと思います。
人間は基本的に共同体で生活する生き物であり、共同体においては、自分が「何でもできる人」になる必要はありません。
むしろ、得意なことを請け負って、不得意なことを誰かに依頼した方が、効率的に共同体を運営できます。
会社という「自分の職務が決まっている」フィールドでは、自分が得意とすることを仕事として表現できるとは限りません。
すると、不得意なことも含めて職務を全うしなければならず、知らず知らずのうちにストレスを抱えてしまうおそれがあります。
そこで、自分が無理なくできる「得意なこと」を探し、誰かのために行う準備を始めておけば、将来的に労少なくして人の役に立つことができるようになります。
仕事にこだわらず、趣味の延長であっても、自分の特技を提供する形でも構いません。
ポイントは、あくまでも「自分にとって負担の少ないこと」を選ぶことです。
誰かのために「やってあげた」という気持ちが生まれない、むしろ「こんなことで喜んでくれるならいくらでもやる」というレベルのことを提供すれば、自分に対する自信を持つことにもつながります。
オンライン上で提供されている各種サービスをチェックしてみると、ただ相談に乗る・話を聞くことだけで出品している人も意外と多く見られます。
各種スキルマーケットをチェックしてみて、これなら自分でもできそうだと感じたことがあれば、自分の商品ページを立ち上げてみてはいかがでしょうか。
ゴミ拾い・スキルの提供に時間を割くことが難しい人は、稼いだお金を誰かのために募金するという方法もあります。
団体によっては、募金した人の名前を会報に載せてくれるところもあり、自分が貢献したことを自分の目で確認できますから、日々の生活を続けるモチベーションアップにもなります。
ユニセフ募金など、世界的に知られている団体への募金でもよいのですが、より身近な場所で活動しているNPO団体を選ぶと、自分事のように感じやすくなります。
可能であれば、団体の活動をできる範囲で手助けすると、なお幸福感が高まるでしょう。
自分だけの幸せを追い求めようとすると、結局のところ行き詰まってしまうのは、人間が社会的動物であることの証拠です。
他者を思いやる心が、ひいては自分自身の幸せになると自覚できるからこそ、人間社会は今日の発展を遂げたと言っても過言ではないでしょう。
利他性が自分の幸福につながっていると気付いた時、周囲との関わり方は間違いなく変わるはずです。
まずは、家族や同僚の幸せを願うことから始め、少しずつ思いやりの輪を広げていきましょう。
素直になれない時や、利他の心に抵抗を感じてしまったら、日本の昔話を読んで心を洗うことをおすすめします。
心ある人なら、自分の心がこれほど美しかったのかと驚くはずです。